「原発から60km人口29万福島市内が危ない・異常な量の放射性物質を検出・スクープ 緊急調査で判明」
これは週刊現代の記事だ。ぜひ目を通してみてほしい。
福島市には、私の親戚もいるし友人も多数住んでいる。
中には最近子供が生まれたばかりの友人もいる。非常に心配している。
また、私の地元は浜通りだが、祖父や先祖代々のお墓が福島市にあるので、
福島市へは子供の頃からよく行っていた。そういう縁があるところだ。
福島市に住む友人の一人は、311の後に横浜の私のところに一時避難していた。
彼の会社は外資系であったため、原発事故のあとに会社から全員福島県外への退避命令がでていた。
しかし、ほとぼりが冷めてくるといつまでも会社を動かさないわけにはいかないということで、彼は再び福島へ帰っていった。
それから時々、私は彼から福島市の状況を聞いている。
彼はまず福島に帰ると、ガイガーカウンターで自宅の周囲をはかりはじめた。会社が数台だけだが、用意してくれたようだ。
またはじめのうちはスクリーニング検査を受け、自身の被曝量を定期的にはかっていた。
だが、最後に連絡をとったとき彼は、「気をつけてはいるが、それでも毎日少しずつ被曝をしている。内部被曝もし続けているはずだ。もはやあきらめている。」といっていた。
私はとにかく、そこを離れてこっちに来るように言ったが、そう簡単にはいかないようだ。
私もわかっている。
多くの人が、そこにいなければならない理由があってそこにいる。
家族がいたり、仕事があったり、経済的な理由だったり。
本当は、こんな危険なところにはいたくはない。けど、他にどうすることもできない。
そういう葛藤をしている人はものすごく多い。
皆、天からの指令を待っている。くるはずもない指令だ。
有無を言わさずに、退避しなければならないような理由を待っているのだ。
政府から「危険ですから、すぐに避難してください。」という強制退避命令が出るのを待っているのだ。
しかし、現状は
「安全ですから、そこにいてください。危険だと思う人は勝手に避難してくれればいい。」という状態だ。
はじめは「危険だがここにいなければいけない」という葛藤があるが、
人はやがて、嫌なものを見ようとしなくなる。
「大丈夫だ。コンビニやスーパーは開いてるし、テレビも見れる。パチンコ屋もやってるし、何も変わってないんだ。何も起こらないんだ。」と、そこにいる自分を肯定するようになってくる。
地震に関しても福島原発に関しても、テロだ小型原爆だなんだと、さまざまな意見があって、
確かにとても大事なことだが、
でもそれでも今はそれよりも、
今福島市が局地的には明らかに放射能汚染されていて、
そこに人々が普通に住んで生活しているという事実の方が強烈だ。
なんとかしなければ。
無力な自分がいるだけだが、それでも、できることからはじめようと思う。
まずは現地へ行って、自分自身で危険を把握して、
友人達や親戚などの、つながりのある人達から、真剣に話しをしていかなければならないと思っている。
今の自分にできることなど、それくらいなんだ。
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