ん~、すごくいいことを知ってしまった。。。
人工的幸福は自然発生的幸福に劣るものではないということ。
これを知ってるのと知らないのとでは、残りの人生の幸福度が違ってくるんじゃないか?
現在の世の中は、「人工的幸福はいわゆる 自然発生的幸福ほど価値がない」という価値観が横行しているけど、そうじゃなかったってこと。
ちなみに、自然発生的幸福とは欲したものが手に入ること。
そして人工的幸福とは欲したものが手に入らなかったときに自ら作り出す幸福のこと。
でもこれは、資本主義の経済を回すためにつくられた価値観だっていうじゃない。
「欲しいものが手に入っても入らなくても 私たちが同等の幸福を感じるならば 経済のエンジンは回らなくなってしまうでしょう」ということ。
確かに皆が人工的幸福を持ってしまえば、消費は増えないから経済活動は衰退してしまうものね。
どんな選択をしても、後付けの思い込みで人は幸せになれてしまう。
だから、どんな選択をしても
「肉体的にも経済的にも、感情的にも精神的にも、ほぼ全てにおいて向上した」
「何ひとつ後悔はない 栄光のある経験をしたと思っている 結果的にベストだったと信じている」
と思い込むことで、人はどんな状況でも幸福になれるということだね。
だけど、私達は発達した前頭葉皮質によってさまざまな選択を疑似体験して、
勝手にこっちが幸せでこっちは不幸だと決め付けてしまっている。
それが違うよってことだね。
どんな選択をしても、後付けの思い込みでどっちも幸せになれる。
データでは、人工的幸福もいわゆる 自然発生的幸福も差が幸福度に差がないことを示している。
すごい発見だね。
この心理的免疫システム、つまり幸福を作り出す能力というのは 私たち全てに備わっているんだ。
そこで、この能力をよりうまく使うために知っておかなければならないことは、
この能力を より効果的に発揮できる状況と、逆にこの能力を妨げてしまう状況についてだね。
人工的幸福を効果的に発揮できる状況というのは、言うなれば「それ以外に選択肢はなかった」という状況。
選択肢が多くて、自由に意思決定ができることは「数々の魅力的な未来から 各々が最も楽しめるものを選ばせてくれる」わけだからありがたいことだけど、実はこの自由な意思決定や選択の自由は、人工的幸福にとっては敵になってしまうんだって。
なぜかというと、選択権が多いと、選んだあとも「ああすればよかったかな」とか考えてしまう。
そうして頭を悩ませ考え続けた人は、これでよかったのか?別な選択をすればもっとよかったのか?もしかしたらこっちはよくないかも?選択を間違えたかも?という考えに押しつぶされてしまうからなんだ。
だから、「それを選択するしかなかった」とか、「選択の取り消しや、やり直しはできない」という状況の方が、人工的幸福は作り出しやすいんだね。
まあ、どんな選択をしても「自分でした選択に絶対に後悔しない」というスタンスをつらぬけば、それ以外に選択肢はなかったという状況と似た精神状態がつくりだされるから、
「ああすればよかったかな」とかの考えが入り込む余地は生まれないから、問題はないんだろうね。
人間というのは、欲を出せば際限なく求めてしまうもの。
だから、あっちもこっちも欲しくなる。
それでは、何をしても満たされない。際限がないね。
大切なことは、自分が選択した未来に満足するってことだね。
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